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幼少時 祖父との思い出

私の小さい頃の思い出の中には、父が居ない。

団塊の世代の父は、ひたすら仕事の毎日。確かにアルバムの中では父との写真は有るものの、どこかに連れていってもらった記憶は皆無に等しい。

その代わり、当時は一緒に住んでいた祖父との思い出は沢山ある。

祖父は商売(質屋)をやっていた。

その祖父は、お店が休みの時には私を連れて、デパートやら組合の集まりやらと連れ出してくれ、幼少時でのお出かけといえば祖父との思い出しか無い。

お洒落をしてのお出かけ。

何故か祖父は、出掛けると必ず私にハンドバックを買ってくれたり、美味しいものを食べさせてくれ、幼少時の楽しみの一つだった。

夏休みは千葉にある民宿を1件借り切って過ごすのだが、その時のアルバムにも父は載っていない。

祖父や母、親戚との写真ばかり。

話に聞くと、当時1度だけ父が来たというが記憶には無い。

私の幼少時の写真も、殆どが祖父が撮っていた。

それほど、小学校入学までは父より祖父との接触が強かった。

普段はとっても優しく、夕食時は祖父の膝の上にちょこんと座って食事をするのが楽しみの一つだった。

しかし、そんな祖父が一番恐かった。

母に怒られて泣いていると、お店に居るはずの祖父が「何を泣いている!」とやってくる。

そのとたん、涙が恐怖で止まってしまう。自分が悪いことが分かっているだけに、これ以上怒られるのが恐かった。

ある時、家の前で自転車とぶつかった事があった。

勿論その時は自転車に乗ってる方が悪かったので、私の泣き声を聞いて飛んで来た祖父は、相手を怒り私には優しくしてくれた。

その後再び自転車にぶつかった。

当然祖父は相手を怒ってくれるものと思っていた私は、以前より増して大泣きをした。

祖父がお約束通り出てきて、状況を相手からも聞いたとたん、私は祖父に怒られた。「飛び出してきたお前が悪い!誤りなさい!」

私はその時、てっきり相手を怒ってくれるものだと思っていただけに、そのショックからはい上がれずただ「痛いよー」と泣いたのだが、頭を無理矢理下げさせられた。家に戻ってから、どうして私が悪かったのかをこんこんと話され、納得した事があった。

祖父はいつも平等な立場で、孫だからといって、孫の言い分だけを聞かず両方の話を聞き、時には優しく、時には厳しく色々教えてくれた。

小学校入学と共に、父の転勤で札幌に行く事になり、祖父とも別の生活となったものの、年に1度祖父は札幌に遊びに来て一緒に道内旅行をしたものだった。

誕生日やクリスマスには、東京からプレゼントが届くのだが、それがとっても楽しみだった記憶がある。

小出しに何か買ってくれる事は無かっただけに、そんな時には普段両親におねだり出来ないものをお願いして、ひたすら荷物が届くのを待つのだが、それ故に喜びと有り難みがあった気がする。

私が小学校5年になった時東京に戻り、祖父の家の隣に住む事になる。

月に1度無条件におこづかいをくれた祖父が、中学に入学したとたん変わった。

日曜日に呼ばれ、お店のショーケースの掃除をさせられるのだ。

中に飾ってある商品を全部出し、ショーケースを磨き、商品を1つ1つ磨く。

それが終わると蔵にある商品。

中学生の私には1日掛かりの作業だった。

全てが終わると祖父のチェックが入る。

どきどきしながら待っていると、今までもらっていた金額よりも多いおこづかいを「良く頑張った」と言ってくれた。

これが私の人生初のアルバイトだった。

回を重ねるごとに手を抜く事を考えた私はある時こっぴどく怒られた。

中学生だという事(まだ子供という甘え)と身内の甘えなんか無かった。

そんな祖父に、働いてお金をもらう大変さを教わった。

87才で他界した祖父。死ぬまで私に色んな事を教えてくれた。

祖父が生きている頃は、この世の中で1番私にとって恐い人物であったが、それと同時に父も加わりはじめたのが、やはり中学の頃かもしれない。

 

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2003/07/12