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ハンセン病 |
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『高松宮記念ハンセン病資料館』
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| 『高松宮記念ハンセン病資料館』の開設 『高松宮記念ハンセン病資料館』は、藤楓協会(ハンセン病救護事業団体)の創立40周年事業の一つとして、多磨全生園(国立ハンセン病療養所)の敷地内に、1993年6月25日に開設されました。 『資料館』は、コンクリート2階建、総面積1700u、外壁の白色タイルが周辺の濃い緑によく映え、全体が資料展示場になっています。 『資料館』の展示資料について特筆されるのは、ハンセン病に対する偏見と差別の犠牲者、つまり絶対隔離(すべての患者の終生隔離)を強制された患者自身が、資料を独自に意味づけていることであり、いわれのない苦難の歴史を赤裸々に暴露しています。 日本のハンセン病対策の基本である絶対隔離は、らい予防法(1907年)を法的なよりどころにしていますが、本法の制定を推進した当時のハンセン病医学者は、不治のハンセン病を根絶するには隔離が最善と確信していたのです。 それ故にハンセン病療養所の実態も、治療や救護のためというよりは、単なる隔離の収容所に過ぎなかったと言ってよいでしょう。しかも社会にとってハンセン病療養所は、恐怖と嫌悪に満ちた無縁の場所であり、中の患者がどう扱われようと関心がありませんでした。 患者が患者を看取り、互いに生活を支えあった不条理や、懲戒検束規定を悪用した監房拘禁の残酷さなどは目に余ります。それに医療費は驚く程低額であり、重篤な患者は見殺しにされたようなものでしたから、1945年までの死亡率は年平均10%ほどの高率を示していました。 この冊子は生涯を患者救済に尽くした先駆者たちと、絶望的な限界状態の中を必死に生き抜いてきた患者たちの歴史であり証なのです。 この小冊子は当資料館の電光案内盤による「各園(院)の沿革」をはじめ、資料展示室の「先駆者たち」「事件と人物」「文学に生きる」などのコーナーに掲げられた説明文と「年表」に若干の補足をし、まとめたものです。 |
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| ハンセン病の知識 |
(厚生省) |
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| 1.ハンセン病とらい | 「ハンセン病とは何か?」と尋ねると、「らい」という答えが返ってくるでしょうから、強いてハンセン病と言う必要はないと考える人もいます。それでも"らい"と言われて差別を受け苦しんできた患者が、"らい"という病名に嫌な思いを持つのは当然であって、「ハンセン病とは何か?」と尋ねなくてもよいように、"ハンセン病"という呼び名を世間に広めたいものです。実際に現在では、"ハンセン病"は公用語になっていますが、日本らい学会は "らい”を学術用語として残しています。 | ||||||||||||||
| 2.ハンセン病は慢性の感染症 | ハンセン病は、らい菌による慢性の感染症であり、"うつる病気"と言うのは間違いではありません。らい菌は、抗酸菌(注1)と言われる細菌の一種で、1873年にアルマウェル・ハンセンによって発見されました。ハンセン病という呼び名は、この発見者の苦難の業績を称えて名付けられたものです。 ところでらい菌は、同じ抗酸菌である結核菌によく似ていますが、感染力は結核菌に比べると弱くて問題になりません。そのため特に幼児期以前に繰り返し接触してはじめて感染しますが、それもらい菌に対する免疫(注2)の働きが弱い場合に限ります。 また感染しても、免疫の働きの弱さには程度の差があって、それが発病したときの症状の違いになりますが、ある程度強いと自然に治癒することすらあります。 ハンセン病が非常に感染しにくいのは確かですが、昔は患者が通ったあとを消毒したり、患者が手にした物は捨てるか厳重に消毒するかしていました。これはまったく無用なことであり、現在は療養所において療養中の患者であっても、特別な状態(注3)を除いて外出や社会との交流は自由になっています。 やはり昔ですが、ハンセン病は“遺伝病”のようにも考えられていました。それは、ハンセン病に感染してから発病するまでの期間(潜伏期)が、数年ないしは十数年とも言われるほど長いためでした。これでは、いつどこで誰から感染したのかわからないことが多く、そのために遺伝病のように思われたのかもしれません。 |
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| 3.ハンセン病は恐ろしい病気? | 世間には現在でも、ハンセン病を恐ろしい病気のように言う人がいます。十分な治療が受けられないと、化学療法の進歩した現在でも、顔面や手足にひどい変形を残すことがありますから、それを見て恐ろしいと思うのも当然でしょう。また昔は不治の病とも言われていましたから、恐ろしいという思いはいっそうつのったはずです。 しかしハンセン病の治療は、1943年のスルフォン剤の使用にはじまり、1983年以降の多剤併用療法(注4)にいたるまでの進歩によって、かつての“不治の病”を“可治の病”に変えてしまいました。現在では、ハンセン病は早期に診断され早期に治療すれば、変形はまず残すことなく軽快するのがふつうです。それでも、発病した頃(1948年以前)に化学療法がまだ行われていなかったか,あるいは病気がかなり進行してから化学療法を受けたかした場合には、ハンセン病そのものは軽快していても、顔面や手足などに何らかの変形(後遺症)を残すことがあります。整形外科や形成外科による手術的療法は、これらの変形の矯正に役立っていますが、まったく目立たなくするのはむつかしいようです。言うまでもありませんが、変形がどうあろうとも、すでに治癒が開始されていれば感染のおそれはありません。 このようにハンセン病は、早期に診断され早期に治療されれば、決して恐ろしい病気ではないのです。 |
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| 4.ハンセン病は軽い病気? | ハンセン病は、非常に感染しにくく、しかも治療によって確実に軽快しますから、恐ろしい病気のように考える必要はありません。しかしハンセン病は、皮膚のほかに抹消神経も侵して、知覚麻痺をかならず起こしてきます。 手足に知覚麻痺がありますと、熱さや痛みを感じないために怪我をしやすくなり、その傷を悪くして変形を残すことが少なくありません。知覚麻痺も、診断と治療が早期になされると、体のどこかに少し残すだけですみますが、さもないと手足に広く残すことになり、しかも治療法は現在のところないと言ってよいほどです。 ハンセン病を、感染のおそれがないように軽快させるのは容易でも、知覚麻痺のような末梢神経の障害を防ぐのは困難なこともあります。 |
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| 5.日本のハンセン病療養所の現状 | 現在の日本のハンセン病患者数は約7000人で、そのうち6000人余が全国13ヵ所の国立療養所と
2ヵ所の民間療養所に入所中ですが、90%以上の人はハンセン病自体はすでに軽快しています。そのために、ほとんどの人は退所してもよいわけですが、平均年齢は69歳に近く、それに多くは顔面や手足に変形を残していますから、社会に出て生活するのはむつかしい状態です。ハンセン病療養所も現状では、"身体障害者老人施設"になっています。 全国の新発生患者数は、現在10数人以下のわずかになっていますが、その多くは在宅のまま治療を受けており、新入所患者のいないハンセン病療養所の高齢化はいっそう進んでいます。 |
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| 6.ハンセン病の歴史 | |||||||||||||||
| (注1)らい菌などのように、ある染色液でいったん染まると、酸やメタノールなどを作用させても、容易に脱色しない性質を持つ細菌を、抗酸菌と言います。 (注2)免疫とはわかりやすく言うと、感染症から免がれるための体の働きですが、ハンセン病の感染は、らい菌に対する免疫の働きが弱いためと考えられています。そしてこの働きの弱さの程度によって、発病するとハンセン病は大きく2つの病型(らい腫型と類結核型)に分かれます。 (注3)リハンピシンを与薬すると、らい菌はごく短期間のうちに感染力を失いますので、感染源になることはありませんからたとえ入所中であっても外出は自由です。ただしハンセン病は経過中に皮膚や末梢神経の急激な変化を起こすこともありますから、その場合は病状が安定するまで外出を制限します。 (注4)DDS、B663、リハンピシンの三つの薬剤を組み合わせて用いるハンセン病の治療法を多剤併用療法(または複合療法、略してMDT)と言い、WHOの主導で始まり、現在は世界的な規模で実施されています。これまでの治療法に比べて効果的ですが、治療期間などについては今後とも検討する必要があるとされます。 |
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(資料館運営委員長・成田 稔)
財団法人・社会福祉法人 藤楓協会さんの資料を引用させて頂きました。
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