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服部けさは1884(明治17)年7月19日に福島県須賀川で生まれた。明治38年、東京女子医学校に入り、学生時代に駒込キリスト教会に通い受洗した。大正3年三井慈善病院で生涯の友、三上千代と出会った。三上千代の後を追って全生病院に転じ直接らい患者の診療に当たった。
1917(大正6)年11月3日、草津聖バルナバ医院の開設に際し、リー女史や三上千代に招かれ草津へおもむく。大正7、8年頃から草津町の医師は服部けさ一人であった。そのため町医、校医、警察医の嘱託となり、その上、近郊への往診には駕篭に乗せられて5キロ、6キロの山道を出向き日夜奔走した。
大正6年頃から痼疾、心臓弁膜症のため心悸亢進したが、毎夜枕許に提灯と聴診器をおいて、どんな真夜中でも往診に応じた。聖公会のリー女史と福音教会派の服部、三上とは若干の意見の相違があった。「日本のらい患者は日本人で救わなければならない」と2人は実際の計画を夜のふけるのを忘れて語りあった。大正13年「鈴蘭病院」を滝尻ヵ原に開院したが、23日日の11月22日服部けさは昇天した。
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