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ハンセン病歴史と年表 その4

1952(昭27)年 

bullet全生園で全患協第一回支部長会議が開かれ、施設側の妨害をはねのけて7支部の代表が出席(5月24〜26日)。
bullet貞明皇后の遺徳を顕彰、記念事業として「藤楓協会」誕生(6月24日)。
bullet全生園で全患協による「らい予防改正促進委員会」発会式(10月10日)。
bullet長谷川代議士の質問趣旨書(11月13日提出)に吉田総理が「現行法は憲法に抵触せず」と回答、全患協が「屈辱的、非人間的」と抗議声明(12月7日)。

1953(昭28)年 

bullet「らい予防法」改正案が上程されたが、国会が「バカヤロー」解散になり、廃案(3月14日)。
bullet菊池で総決起大会を開き、1ヵ月後の作業ストを決議し、園に通告(4月27日)して以来、全患協各支部は相次いで大会を開いたり、作業ストに突入していった。
bullet作業ストを二次、三次と強化、再提案された7月1日に第一次国会陳情(48名)を決行。運動は「促進」から「粉砕」に切り替え、第二次陳情団は今度は国会通用門前にテントを張って、3日から8日まで座り込むことになったが、人員は多い時で221人に達した。全国で88人がハンストに入り、重態の者も出ていた4日、法案は衆院厚生委員会、本会議共に無修正で可決した。
bullet法案が参院に移り、22日の第三次日帰り陳情を経て30日、第四次陳情は40人から123人の規模で再び国会通用門箭に座り込んだ。全生園では約380人が正門を突破して園外デモに出発し、田無付近で200人の警官隊と対峙する(31日)など、全国各園で入所者が死力を尽くして闘ったにも拘らず、委員会(8月1日)、本会議(6日)共、原案通り通過した。増援隊を含め、現地160人の座り込みは厚生省に移動し(3日)、さらに13日まで、最後は連続の徹夜による、ねばり強い交渉が続けられたが、九項目の付帯決議がこの闘いの成果となった。
bullet新らい予防法施行(15日)。

1953(昭28)年 

bullet熊本地裁出張裁判で藤本松夫に死刑判決(8月29日)。
bullet宮崎恵楓園々長は熊本地方法務局長、中央児童福祉審議会長に対し「らい患者と親族関係にある者に対する教育上の差別的取り扱いの撤廃について」善処方を申し入れる。これ以後、30年4月まで、竜田寮児童の黒髪小学校通学拒否問題として社会的関心を集めることとなる(12月4日)。
bullet奄美群島日本復帰に伴い、和光園が厚生省に移管となり、同園で記念式典挙行(12月25日)。

1954(昭29)年 

bullet病棟看護の職員化を厚生省が指示(4月1日)。
bullet医務局長通達三百七十七号で所内監禁室の警察留置所移管を指示(6月15日)。これ以後、改装や設置に反対する運動が各園で相次ぐ。

1955(昭30)年 

bullet全国ハンセン病盲人連合協議会(全盲連)結成(5月1日)。
bullet国立らい(現多摩)研究所設立(7月1日)。
bullet研究所と共に予防法闘争の際の要求の一つであった邑久高校新良田教室が愛生園に設置される(9月16日)。一学年30名。

1956(昭31)年 

bulletカトリック・マルタ騎士協会主催「ハンセン病患者の保護および社会復帰に関する国際会議」が51ヵ国の代表によってローマで開かれた。日本から林全生園長、野島青松園長、浜野藤楓協会理事長が出席。いわゆる「ローマ宣言」を決議。事実上日本のハンセン病政策への批判となった(4月16日〜18日)。

1957(昭32)年 

bullet元全生園婦長三上チヨ、ナイチンゲール章受賞(6月)。
bulletこの年、厚生省は菌陰性者の退所基準を作成。翌年指示した。

1958(昭33)年 

bullet国が予算を藤楓協会に委託して退所者の生業資金、退所支度金、世帯厚生資金として貸与する制度を施行(4月1日)。
1958(昭33)年 
bullet「放浪の画伯」山下清来園し、和光園内において個展開催(8月23日)。

1959(昭34)年 

bullet国民年金制度発足(11月1日)。

1960(昭35)年 

bullet国民年金がはじめて支給される。第一次該当者、障害福祉年金3670人、入園者の34%、老齢福祉年金、157人、1.4%(3月5日)。
bullet在日朝鮮・韓国人ハンセン病患者同盟が年金に準じた処遇獲得を主な目標に結成され、駿河で第一回支部長会議開く(5月24日)。
bullet愛生園および光明園で新設された牛窓水道に切り替えられ、自家水道を廃止する(9月8日)。
bullet全生園で女子不自由舎3棟の職員への看護切り替えがはじまった(10月10日)。これより約10年にわたって全患協に結集、或いは各園の支部自治会毎に、くり返しくり返し、切り替え促進の運動が展開される。

1961(昭36)年 

bullet各園で自動車運転免許取得のための講習はじまる(3月)。
bullet医師不足対策の一つとして愛生園では岡山大学などからのパートによる診療をはじめる(4月25日)。
bullet新生園内を貫通する町道が迫町の町費で舗装される(5月6日)。
bullet琉球ハンセン病予防法成立。病名変更、在宅治療規定など明文化する(6月30日)。
bullet神山復生病院婦長井深八重、ナイチンゲール章受賞(9月)。

1962(昭37)年 

bullet「全患協ニュース」が「ハンセン病療養所医療従事者白書」を掲載。医師不足からくる低医療を数字で示した(2月l日)。
bullet新生園で「社会復帰研修東北農場」鍬入れ式(3月13日)。用地は藤楓協会で買い入れ、貸与。
bullet藤本松夫、福岡拘置所において午後1時17分処刑される(9月15日)。各園で抗議集会開かれる。

1963(昭38)年 

bullet私立琵琶崎待労病院で男子病棟、治療棟、炊事場を全焼(6月18日)。
bullet藤楓協会は「救らいの日」を「らいを正しく理解する日」と改める(6月25日)。
bullet全患協「朝日訴訟をかち抜く大行進」に参加(9月23日)。
bullet全患協「らい予防法改正」要望書を厚生大臣に提出(9月27日)。
bullet日患同盟の呼びかけに応じ、全患協は「医療の充実と生活の拡充、予防法改正」を要求する統一陳情に参加、共闘する(12月11日〜14日)。

1964(昭39)年 

bullet全患協本部と各支部代表200人、国会、厚生省への大陳情行動(3月17日、18日)。
bullet全患協、看護切替え完全実施を要求、大陳情行動はじまる(6月4日)。
bullet「六・五闘争」といい、76人から112人が厚生省第一会議室に9日まで座り込むと同時に決起大会や作業放棄、座り込み、地方機関に切り替え促進を要求した。
bullet第一回療養生活研究委員会(療研)、新生園で開催される(8月31日〜9月3日)。
bullet全生園で授産施設としてホッチキス工場(制作、プレス、組立)が操業開始(8月)。
bullet愛生園で鳥取県出身者の里帰りが県衛生部長加倉井駿一の骨折りによって実現(11月4日)。以後、郷土訪問が各都府県で実施される。

1965(昭40)年 

bullet事務部長研究会が23回におよぶ会議の結論として「らい対策の大綱」を発表(1月15日)。
bullet日本棋院の肝入りで宿願の第一回ハ病囲碁全国大会が楽泉園で実現(6月6日)。以後、毎年開催地を変えて回を重ねることになるが、これが全国ハ病囲碁連盟結成(42年10月)の因となる。

1966(昭41)年 

bullet藤楓協会理事長浜野規矩雄逝去(1月5日)。

財団法人・社会福祉法人 藤楓協会さんの資料を引用させて頂きました。

 

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