| 1926(大15)年 |
 | 九州療養所で貧困患者救済資金を得るため、7月1日より煙草、砂糖、麺類の三種類を販売、売店のはじまりとなる。 |
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| 1928(昭3)年 |
 | 北部保養院(現松丘保養園)大火。礼拝堂付近から出火し、強風で37棟全焼(7月31日)。 |
 | 日本癩学会創設。第一回日本癩学会を東京で開催(9月)。 |
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| 1930(昭5)年 |
 | 全国で最初の国立らい療養所、長島愛生園開園。園長光田健輔(11月20日)。 |
 | 台湾総督府立楽生院を台北に設立。院長、川上豊(12月)。 |
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| 1931(昭6)年 |
 | 「国立癩療養所患者懲戒検束規定」認可公布(1月30日)。 |
 | 財団法人癩予防協会設立。会長、渋沢栄一(3月)。 |
 | 沖縄県立宮古保養院(現南静園)を平良に設立。宮古警察署長、高里良敦、院長兼務(3月7日)。 |
 | 大島療養所で食堂のラジオが破壊され、職員への不満が高まって患者大会が開かれ17項目の医療と生活改善要求をかかげ、40名の警官隊に囲まれての団交を経て、患者自治会が結成された(1月10日〜3月8日)。
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 | 法律第五十八号癩予防法をもって、明治40年法律第十一号改正公布。本法により患者の救護費弁償制を廃止し、本籍、本名を申告せずに入所可能となる。予防上必要であり、本人が希望すれば資産の有無に拘らず入所可能となる(4月)。
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 | 皇太后陛下(貞明皇后)誕生日を、らい予防デーとし、この日を中心にらい予防週問が発足(6月25日)。 |
 | 癩予防協会が愛生園と大島療養所に「未感染児童保育所を設立(8月)。昭和30年までに公私立の13施設に保育所が相次いで設けられた。 |
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| 1932(昭7)年 |
 | 高松市讃岐会館で第一回療養所協議会が、各所長、警察署長、各県衛生関係者らにより開催され、特に所内における思想取締りについて協議(1月10日)。 |
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| 1932(昭7)年 |
 | 九州療養所の患者500名は、温情主義の塚本主事の留任を県知事に陳情するため所を脱出して須屋付近まで行ったが、警官隊に阻止され引き返した(1月17日)。
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 | 国立療養所栗生楽泉園を草津に設立。園長、古見嘉一(11月16日)。 |
 | 皇太后陛下、大宮御所御歌会の兼題「癩患者をなぐさめて」に「つれづれの友となりてもなぐさめよ行くこと難きわれにかはりて」と詠ぜられる(11月)。 |
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| 1933(昭8)年 |
 | 外島事件起こる(2月)。 |
 | 愛生園で患者労働による園内縦貫道路(延長4キロ)が開通した(11月20日)。 |
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| 1934(昭9)年 |
 | 室戸台風のため外島保養院壊滅。患者173名、職員3名、同家族11名死去。生存者416名は復興まで各療養所に分散委託される(9月21日)。 |
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| 1935(昭10)年 |
 | 鹿屋に国立療養所星塚敬愛園設立。園長、林文雄(10月28日)。 |
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| 1936(昭11)年 |
 | 愛生園で待遇改善と自治制度の確立を要求して長島事件起こる(8月18日)。 |
 | 内務省衛生局、癩根絶のために1万床、三ヵ年計画を発表(11月)。 |
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| 1937(昭12)年 |
 | 京都帝大皮膚科特別研究室に新たに病室のある研究室を設立。入院できる大学関係らい研究施設として唯一のもの。主任、小笠原登(4月)。
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 | 北条民雄、腸結核で死去。同日、川端康成、弔問に全生病院訪問(12月5日)。 |
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| 1938(昭13)年 |
 | 外島保養院が邑久光明園として再建された。園長神宮良一(4月)。 |
 | 各療養所に委託されていた患者が光明園に復帰(6月)。 |
 | 国立療養所国頭愛楽園(現沖縄愛楽園)、屋我地に設立。園長塩沼英之助(11月1日)。 |
 | 栗生楽泉園に特別病室(重監房)竣工(12月24日)。 |
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