| 1872(明5)年 |
 | ロシア皇太子の来日前日、浮浪者300人を本郷加賀邸空長屋に収容し、東京養育院の起源となる(10月)。 |
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| 1873(明6)年 |
 | ノールウェイのハンセン、らい菌を発見(2月)。 |
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| 1875(明8)年 |
 | 東京柏木鳴子町に私立「起廃病院」設立。院長後藤昌文(4月)。 |
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| 1887(明20)年 |
 | 草津で湯の沢をらい患者の湯治場として草津本町から分離(6月)。 |
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| 1888(明21)年 |
 | 堺の岡村平兵衛、家業の丁字油製造を応用して大楓子油を精製し、わが国のらい治療に貢献した。同時に患者の救護にもつとめた。 |
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| 1889(明22)年 |
 | ダミアン神父、モロカイで死去(4月)。 |
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| 1890(明23)年 |
 | テストウィード神父、御殿場富士岡村に私立神山復生病院を開設(6月)。 |
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| 1894(明27)年 |
 | 好善社が東京に目黒慰廃園を設立。監督、大塚正心(10月)。 |
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| 1895(明28)年 |
 | 熊本に私立回春病院設立。院長ハンナ・リデル(11月)。 |
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| 1897(明30)年 |
 | ベルリンで第一回国際らい会議開催。わが国から土肥慶三、北里柴三郎の2名が出席(6月)。 |
 | らい患者に関する一斉調査。北海道を除き2万3660人(人口1万に、5.5人)。 |
 | 徴兵検査の際発見されるらい患者数(「壮丁らい」といわれた)はこの年620人を数えた。 |
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| 1898(明31)年 |
 | 熊本市にジョン・コール神父により琵琶崎待労病院設立。院長メール・マリー・コロンバ(10月)。 |
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| 1899(明32)年 |
 | 東京養育院内にらい患者のための回春病室を開設。院長渋沢栄一、主任光田健輔(3月)。 |
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| 1900(明33)年 |
 | 内務省が第一回らい患者数調査。最初の本格的調査で3万359の調査結果となったが、主に警官によって行われ、不正確なものとされている。 |
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| 1906(明39)年 |
 | 山梨県身延山に綱脇竜妙により身延深敬病院設立される(10月)。 |
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| 1907(明40)年 |
 | らい予防法案、政府案として上程可決。法律第十一号として公布(3月18日)。42年4月1日より施行。 |
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| 1909(明42)年 |
 | らい予防法の施行に当たり、全国を五区域に分けた連合府県立病院療養所がそれぞれ設立される(4月〜9月)。 |
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| 1911(明44)年 |
 | 大島療養所(現青松園)で患者と職員がもめ、新聞(朝日)が「癩患者大暴行」と報道(3月3日)。 |
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| 1913(大2)年 |
 | 患者集団陳情「門破り」事件が全生病院で起る(7月7日)。 |
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| 1915(大4)年 |
 | 全生病院で全国に先駆け、断種(ワゼクトミー)を前提に結婚を認める(4月)。 |
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| 1916(大5)年 |
 | 朝鮮総督府令第七号をもって全羅南道に小鹿島慈恵病院(昭和9年小鹿島更生園と改称)設立。院長蟻川亨(2月)。 |
 | らい予防法に関する施行細則改正(内務省令第六号)、療養所長に対する懲戒検束の権限が規定され、併行して監禁室が設置される(6月)。
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 | また入所者の守るべき規律、規範として「患者心得」が施設毎に制定、提示される。 |
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| 1917(大6)年 |
 | 草津に私立バルナバ医院設立。コンウォール・リー(11月)。 |
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| 1918(大7)年 |
 | 外島保養院で患者の自治制度が4年間の運動で認められる。 |
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| 1919(大8)年 |
 | 全生病院で院内通用券の発行使用はじまる(9月28日)。 |
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| 1925(大14)年 |
 | 日本M・T・L発足(1月)。現在J・L・Mと改称。 |
 | 内務省らい一斉調査。患者数1万5351、人口1万対2.27、入所者数2176、病床数2308(11月)。 |
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| 1926(大15)年 |
 | 九州療養所(現菊池恵楓園)で自治会発足(6月19日)。 |
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